駄目社員はむの日記

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北国脇往還を学びながら歩く (3)

ほな登りまひょか?

脇往還はいい線歩いたし、なんだか儚い浅井氏の話を聞いて、そのまま山に登る気になってきた。
予定を盛大に変更。関ヶ原までの踏破はあきらめる(あたりまえや)
小谷城跡というか小谷山(おだにやま)登りをもって北国脇往還のメインエベントってことにする。

せっかくだからフルに登っとく?



小谷山はいくつか登山ルートがあるようだ。
本丸など小谷城の見所を見学しつつ頂上まで登って、尾根(ってほどたいそうなもんじゃないが)伝いに下山するのが定番らしい。初めての山は、安全の意味でも定番を歩くに限る。
ご参考:小谷城 - Wikipedia

本丸から頂上、ぐるり一周コースだ。


そこそこに山道である。半袖半ズボンで入山したことを即座に後悔。明日かぶれないといいなぁ。

これは山城そのもの、確かに実に攻めにくそうだ。




道標はいっぱいあるので安心して登れる。
なお、山城である。そこそこに険しい。や、こんな道をトレッキングシューズどころか草履とか履き、重量感あふれる甲冑やら着物でひょいひょいサクサク歩いていたわけである。むくつけき城のサムライたちだけじゃなく女性陣も、なかなかな脚力と体幹を持っていたはずだ。
#ほかの建屋行くにも、このデコボコの山道をわらじで渡り歩くとかきつすぎだろ。



1573年落城。落城450年ってことになる。謎にそれで推している。めでたいのか不名誉なのか微妙だが、あやかりたい記念の年らしい。*1

ときどきパッと視界が開け、琵琶湖を湖北側から一望だ。

ほどなくして本丸跡。



山の中腹を削り均したところに建てた本丸である。跡を見て回る限り、建屋の面積はどう考えても狭い。
キャプションには粗末、とまでは言わないが実用性重視のシンプル木造家屋として描かれている。天守も何もない。実のところ、御殿!壮観!ってほどのものじゃなかったはずだ。



次いで小丸・京極丸跡。本丸よりさらに小さいように見える。

さらに上って、小谷山の頂上(標高約500m)・兼・大嶽城(おおずくじょう)跡。




浅井亮政(初代)が築いたとされる、言わば「オリジナル小谷城」である。山城を一番高いところに作るのはありがちだが・・・
「頂上に建つ城」って見栄えするけれど、意外と脆そう。物資搬入はハードモードになり、頂上は平坦な部分も狭くて居住性が悪かろう。攻める側からすれば、外から動静がわかりやすい上に補給路を断ちやすいので、攻めやすいそう。
#起伏ある中腹に施設の中枢を並べるほうがいいわな。小谷城のほうが合理的。

下りはほぼ直線的に降りる。




福寿丸・山崎丸と中腹に並ぶ小谷城の痕跡をめぐる。きつくはないのだが長い下り続きで足への負担がありそうだ。


秋の山になってきた。羽虫やら小蝿やら、虫に頭の周囲をホバリング
たまらず、気休めで持ってきた頭部保護用の網を使った。ないより遥かにマシだった。夏以降はしばらく携行した方がいいぞ、100円ショップの安物でもいいから。次来るときには虫刺され注意、長袖長ズボンだな。
午後になり日差しが強まるも、暑さはほどほど。風も吹いている。いやちょっと風強すぎる。

JR河毛駅でゴール。


余力を残し、楽しいうちに終わらせるのが週末トレッキングってもんだぜ?そろそろ帰ろう。



北陸自動車道をくぐると、小谷城攻めのために織田の軍勢が本陣を設けた山城跡があった(虎御前山城)。めっちゃ気になる!

けど、いまからもうひとやま登る元気は・・・ないな。崖のような入り口。無理ー。
ご参考:虎御前山城(滋賀県長浜市)の詳細情報・周辺観光|ニッポン城めぐり−位置情報アプリで楽しむ無料のお城スタンプラリー
そういえばこの近くに虎姫という駅もあったっけ。虎姫とか虎御前とか、強そうな地名だよなぁ。




終了。

まとめ:ゲリラ的に行く北国脇往還、結構よかったよ。

湖北いいねぇ。湖遠くにしか見えなかったけどさ・・・

  • 北国脇往還は、とても保存状態の良い一部ルートを除くと国道365号線に沈んでいる*2けれど、ほんのたまーに見かける道標に安堵し、また時折旧街道の風情にハッとさせられる。
    • 旧街道沿いの路地には、水量のやたら多い水路を多く見かけた。伊吹山の伏流水なのかしら。道中田園風景は多いうえ、水車が並ぶ路地とかなかなか味わいある。実はあの辺、豪雨になったら大変なのかもしれない。
    • 北国脇往還には先がある。ただし、木ノ本発で~小谷山ぐるり登山付き~一日で関ヶ原までたどり着けるのは、たとえ涼しい時期であっても、相応に健脚な方だけだろう。僕程度の体力と脚力ではたぶん厳しい。
  • 街道ウォークからの登山は楽し。歴史ウォーク&登山にもなった。
  • 小谷山歩き、とてもよかった。低山としても楽しい。また来たい。
    • 小谷山から。北陸道を挟んですぐトイメン(500-600mぐらいしか離れてないと思う)みたいなところに、信長が城攻め用に陣を構えた山があった。信長以下名だたる武将勢ぞろいのドリームチームがすぐ近所にじっくり居座られてる位攻め込まれていた訳で、敗北フラグ一直線っぷりが、実際歩いてみたおかげでよくわかったよ。
  • 当日、午前中はさほど暑くはなかった。しかし午後はよく晴れて残暑厳しい感じ、加えてゴーゴーとすさまじい風が吹き始めていた。多分夕方以降風はもっと強まったはず。遅い時間に小谷山に行かなくてよかった。
  • 一番暑い時期を過ぎ、水分の必要量が、野菜ジュース900g+水1.5Lで十分になった。それなりの道歩き装備で行ったけど、国道沿いには時々セブンイレブンがあったりするので、緊急の食料・水分確保は可能。
  • 18きっぷを無事使い切った。夏の18きっぷは、距離と現地の行動時間を考慮すると、滋賀か和歌山の道歩きと絡めて使いたくなるのよね。

*1:「三代50年」しか持たなかったローカル英傑を、450年後なおも讃えているって、心意気が素晴らしいのか微妙なのか・・・

*2:そうなったってことはそれだけ有用な街道ってことでもある