朝。
7時起床。
ザイタックを早々開始する。
午前中。
- 10時から軍議。僕の成果にはならないけど、「みんなで幸せになろうよ」精神で、嫌われ役を買って出る。
- 外はよく晴れて心地よさそうだ。洗濯やっときゃよかったよ。
- フランススタイルのサラミが無性に食べたい。脂と塩気と生臭さを体が欲している。
午後。
昼休みスキップして資料・ToDoリスト作成。目が痛い、目が痛いぞ!
夕方。
16時から昼休み。
よく晴れてて心地よいお外だったみたい。
「新年快樂」という気分ではないよ。でも徐々にアップを始めております。
夜。
毎年恒例「例のイベント」が近づくと、はんだごてでハードをいじる作業がなんだかはばかられる。
イベントでプロジェクトがいったんハードストップになると、その前後で連続性が失われるのが嫌だからかもしれない。
よるのよみもの。

橋本治著「窯変 源氏物語 1」(1995, 中公文庫)
平易な日本語でリライトされ、ふしぎな没入感を体験できる、橋本流源氏。オリジナルは1991年、35年前すね。*1
翻訳ではなく「翻案」タイプの小説。
アウトレイジ風に言えば、源氏物語は「登場人物、全員貴人」。
そのおかげで、原文では場面場面で身分の上下に応じ、ひつこくひつこく難解な敬語がかぶせられる。それはきっと、多くのライトな読者を遠ざけてきたことだろう。
そういえば高橋源一郎先生が、「翻案小説では誰視点で描くか、一人称を何にするか、が重要」と以前どこかでおっしゃってた。そして、「註をつけない方がずっといい」とも。
橋本流源氏は「光君の一人称=私」で書かれるのが特徴。
文頭の大半が「私は~」。桐壺帝は「帝」、桐壺更衣は「母」と、文体が軽い。加えて、視線を上下に振らされ読者の気が散る「註」もない。然して、とっつきにくさをスカッと取っ払いわれた読者は、いつの間にか「私」の心情に強制的に同調させられる。
舞台は 山王会、ではなくて もちろん平安京界隈。
古代の制度に縛られた食うや食わずの農民がヴァストマジョリティだったであろう平安時代にあって、なんでえらいのか誰にもわからない貴族がなぜか栄華を極める。平安の都では洗練された文化にうつつを抜かし、スキャンダルと権力闘争をお上品に繰り返す。
橋本版では、源氏物語の基本的設定と主要エピソードは変えておらず、「割と忠実」。
ただし源氏物語を読みなれた読者が、お約束展開がでてきて「夕顔ちゃん、ハイかわいい~」などとうかつに安堵していると、檻の中から突然ウ〇コを投げてくる類人猿の如く、変化球をちょいちょい投げ込まれ、「あれ、こんなだっけ?いやそうだったかな」と混乱させられる。けれどそれらが不自然さなく本筋と融合しており、ストーリーの解像度、ネットスラングでいうと「わかりみ」がぐっと上がる。
光君の心の声ダダ洩れ、「王子と呼ばれる人気男性アイドル」の日記を盗み読むような感覚だ。加えて彼が、常に「シンプルな正の感情をいだけない」少年であることに気づかされる*2。屈折せずいられないキャラ設定とはいえ、THE 屈託。
ズルい。面白い。
この1巻は、光君の若気の至りなクズエピソード満載な序盤だ。
本拠・二条院を中心に、平成初期の古典的美少女ゲームよろしく、町中を歩いてはムフフイベントを繰り返す。
面白いからページをめくる手が止まらない。
それにしても存外長い。女御更衣あまたさぶらっちゃう冒頭からちゃんと始まるのだが、文庫第1巻は90ページを過ぎてまだ光君13歳。350ページ超えの文庫本を読み終えてなお夕顔のヤベェ急死イベ(17歳)までだ。
紫の上グルーミングさえもまだ始まっていない。1巻はまだチュートリアル。


































