駄目社員はむの日記

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ごった煮の大坂と大阪を学ぶウォークPart 1 (1)

はじめに。

ここ数年奈良歩きに興じてきたが、そろそろ居られる残り期間も気になり始めているので、大阪歩きも増やしていこうと思う。
大阪には通算10年近く住んでいるが、行ったことない地域がいっぱいだ。


ということで府内、古代から近現代まで、あまりテーマを作らずプレビュー気分で歩き回り、面白そうなテーマに当たったら後で掘り下げてみるとしよう。

天満橋駅に降りる。

でも天満宮に行くわけではない。

天満橋をまずは観るところから始める。



まずは天満橋という橋じたいを目視確認しようというのだ。
大川にかかる「浪華三大橋」の一つ、という程度の知識しかない。

なかなかのスケールだ。桁橋っすなぁ。


ご参考:大阪市:天満橋(てんまばし) (…>橋>橋の紹介)
昭和10年に架けられたゲルバー式鋼桁橋の上に高架橋を重ねてる。なる。

この地域は政官の中心だ。


合同庁舎・府庁などが立ち並ぶ。昔も今もここらは大阪のポリティカルな中心地なのだろう。

そして大阪城跡。このへんが大手門かな。そちらはあとで。

それはさておき、難波宮

色々気になるものをスルーしつつ南下すると、難波宮(なにわのみや)。

ながらく所在不明だったという。


現在は・・・草ボーボーなだけで、日焼けしに来る人やらホームレスやらがハンパな広さの空虚に、ソーシャルディスタンス過剰で存在していた。なんだかRPGのモンスターみたいだな!
いや、魔物がグワッグワッって鳴声を挙げながら襲いかかってきてもおかしくないような魔空間である。

難波宮は前期・後期に分かれている

が、2回ともものすごく短命な都に終わっている。ある意味都にするメリットをデメリットが上回る町だったのだろう。
645年、乙巳の変の直後に移されたのが前期(いわゆる、難波長柄豊碕宮)。
当時の遷都は、上物のファシリティ全部背負ってお引越しだったらしいので、基本的に「放棄されたもの、忘れ物」以外は何も残っていない。さらにその後1300年も上物がスクラップアンドビルドを繰り返したのだから、そこらを全部蹴散らしたところで、遺構がかろうじてわかる以外は何もなく、地上に立つと宮跡は空虚そのものだ。*1

実はつい最近こんな本を読んでたもんだから、とっても難波宮脳になってたのよね。

また大阪城界隈に戻ってくる。


JOBK&博物館前の庭もまた、難波宮跡公園という体である。


そしてここを起点に、難波大道を南下すれば竹内街道の起終点にぶつかる。そして竹内街道~横大路へのルートをたどることができる。道歩きマニア垂涎だ。

先に、JOBK NHK大阪放送局



子供向けのPRスペースであるBKプラザは小さいがちょっと心惹かれる。いやなんだろうこのフォント(そこかよ)




いや、どう考えてもおっさん世代直撃だ。ハニャ!

ワンワンの中の人は、配達用自転車こいでた頃からファンだワン。
(続く)

*1:まだ大和三山に囲まれた藤原宮跡の方が、おんなじのっぺらぼうでもずっと味わいがある。