「羽曳野ウォーキングトレイル」歩き、続行。
竹内街道はここから松原市、堺市までも続く。さらに言うと、堺市から「難波大道」跡付近を北上すれば、難波宮跡へと至るという。古代の旧都と新都の間には、たいていきっちりと道が敷かれているのである。
夢は広がる。しかし、体力が徐々に落ちてきているのを感じる。
すでに歩行距離は30kmを超えた。足のコンディションは幾分悪くなってきている。痙攣しそうなほどではないが、足裏の痛み・脹脛の疲労を隠せなくなってきた。まだ歩けないこともないのだが、ムチャは時に、週明けを不幸にしてしまう。
ここから北上すれば、幾つかの見所をかすめつつ、藤井寺駅にたどり着くことができるかな。少々悔しいが、それをもってゴールとすることに決めた。
仁賢天皇陵・・・って誰。
第24代、武烈天皇のダディらしいよ?
まあ、頭の10代は100%実在しないだろう。第25代ぐらいまでだって、500年代当時の支配者層が自分らの正統性を説明するために都合よく創作されたファンタジー感マンチキチンよね?*1
ご参考:-天皇陵-仁賢天皇 埴生坂本陵(にんけんてんのう はにゅうのさかもとのみささぎ)
以前弊日記に記した*2とおり、武烈天皇の宮と伝承される地域は初瀬街道に面していた、らしい。第24-25代間の地理的ミッシングリンクには、もやっとせずにいられない。
いいよ、そのアツいバス停!*3
更に、仲哀天皇陵。誰。
これまたなじみないけれど、ヤマタケさんの息子にして、応神天皇の父ちゃん。第14代らしいです。
あー、パピーんち=白鳥陵(しらとりのみささぎ)の近くという意味では、地理的関係に整合性ないこともないのか。
すてきなお壕がとても印象的なみささぎだ。
ご参考:-天皇陵-仲哀天皇 惠我長野西陵(ちゅうあいてんのう えがのながののにしのみささぎ)
アホおるんやな、クナイ先生大変や。
個人宅が拝所にギリギリまで迫ってきていて、チューアイっちも落ち着いて眠れんわな。今にも宅地に飲み込まれそう。
まとめ:しばしも世をのどかには思ひなんや。
暖かな青空が広がった、春の一日。奈良から大阪へ、持ち合わせの体力の限界まで横大路(大道)と竹内街道を歩き倒した。
サブタイ通り、散り際の桜を背景に、直線的に続く大路を味わえたのでした。
竹内街道~横大路、本当にいいですなぁ。天気いい日に歩く道として理想的。
- 今回は街道沿いの見どころをあらかたすっ飛ばして歩いたおかげかどうか、桜井市、橿原市、大和高田市、葛城市、太子町、羽曳野市、藤井寺市と、7市町も歩けた。
- 街道跡歩きの愉しみを大いに得られるルートだったし、「古墳分」も大過剰なほど摂取できた。でも最近出かけた街道歩きでは「寺社巡り分」がちょっと物足りないかも。次の道歩きではそういう要素を盛り込みたい。
- 百舌鳥・古市古墳群はもっと勉強せねばならないな。堺をスタートにしてぐるぐる歩いてみるのも一興だ。
人生には限りがある。突然の暗転だってある。「閑かなる山の奥、無常の敵競ひ来らざらんや」だ。歩ける間に歩いておこうぜ?(第137段的教訓)。
*1:きっと、史実や民間伝承をスパイスとして盛り込みつつも、ね。
*3:御陵前駅 - Wikipediaに加えて、バス停まで含めると、「御陵」「天皇陵」を冠したとこって、京阪奈中心に結構あるんじゃないすかね。