(期せずしてだけど) せっかく古市に来たのだ。
名高い「古市古墳群」、ひとつぐらい見ておこうではないか?
そこはお上りさんとして遠慮せず、初回なので地域最大の古墳を見てみたい。
竹内街道沿い、古市駅そばにある観光案内所で道を聞いた。
「コンダ八幡宮」とセットで行くとよいと伺う。コンダってどう書くの?
応神天皇陵の拝所着。とてつもなくデカい。
陵の周囲を、半周回ってどうにかたどり着く。
というか幅400m以上とかになるともはやスケールに現実感が乏しく、前方後円墳云々まったくわからない。完全に「丘陵」だ。「なんでここまでクソデカいもの作ったし」という素朴な疑問を禁じ得ない。
拝所を出ると「藤井寺市」だった。
お参りして回れ右したら、羽曳野市から藤井寺市の境界をまたいでいた。
「古市古墳群」とは、羽曳野市と藤井寺市をまたいで存在感あふれる古墳が点在する古墳群なのだ。
さて、ここからそろそろ帰りたいのだが、どう帰ったものか。どの駅からも微妙に遠いのだ。
せっかくだから、面白そうな寄り道のできる駅へと向かおうと思ったら、地図に「美味そうな名前」を見つけてしまった。
「道明寺」だ。ここを最終目的地ということにした。
道明寺とは、道明寺+道明寺天満宮のことだった。
道明寺って桜餅ぐらいしかイメージがない(貧困な知識を露呈)「道明寺」と「道明寺天満宮」が存在することが、地理の知識としてギリギリ頭に入っている程度だった。
実際行ってみると、道明寺(お寺パート)の方は閑静で小ぢんまりとした境内だった。
道明寺天満宮の境内はスケールが圧倒的で人が多く、イベントも開催されて賑やかだった。
なにしろ「天満宮」である。菅原道真がからんでいる。太宰府天満宮・北野天満宮などと同様、牛さん(御神牛)がマスコットだ。
寺を冠してても「天満宮」こそがメインなのだろう。
御由緒によると明治に神仏分離でムリヤリ「寺」と「天満宮」に分けられたらしいのだが、「道明寺」の名称が一般化していたせいか、「寺の名を冠した天満宮」のまま現在に至るようなのだ。
#寺の方が割を食ったのだろうな。
それにしても、「垂仁天皇の三十二年(西暦三)」がドン引きである。 「皇紀元年=西暦紀元前660年」とはいえ、無理矢理西暦にヘタに換算しちゃうと「とってもツライ」から、やめといた方がいいと思うよ。
ご参考:道明寺天満宮
1525道明寺駅着。ゴール。
桜餅売ってたら食いたかったけど、食えず。*5
そして道明寺駅で看板を見てようやく、自分の中でその名前で引っ掛かっていたのがなんなのかに気づいた。
道明寺といえば歌舞伎の演目「菅原伝授手習鑑」じゃないか。菅丞相すよ!天満宮を舞台に泣かせる名シーンがある。
然し、戻ってその辺を調べ直す気力は残っていなかった。また今度だな。