駄目社員はむの日記

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秋津洲ってどんなシマ?(2)

巨勢の山は、一大古墳群だ。

ご参考:巨勢山古墳群 | 御所市

半ば耕作地と化している(室)ネコ塚古墳を背に、さらに巨勢山に突入すると、

八幡宮、そしてこの地域最大の古墳である「(室)宮山古墳」がドーンと突き立つ。



ここらが、この「秋津洲の道」のハイライトだという。ワクワク。




しかも孝安天皇の宮跡がこのあたりだという。マジかい。欠史八代の伝説的なやつだろ?

この古墳、登れるらしい。




木々に覆われており、見晴らしはない。
墳頂まで上がると、その部分だけが開けている。
そして露出した石棺の様子を見ることができる(あまざらし)。誰の墓かといった情報などあってなきが如しなのでさておき、登れる古墳は大好き。
ご参考:宮山古墳 | 御所市

以降、巨勢山古墳群に沿って歩く。




この古墳群、基数は七百とも八百とも言われる。前に訪れた橿原市の新沢千塚古墳群は約六百基だったからさらに多い。
そして小山として残る古墳には親切に階段が付けてあり、登れるところもある。という過去のあたり方々墳墓だらけでモッコモコだ。

條ウル神古墳(じょううるがみ-)がかなり気になる。

名称からしてジッグラトのひとつやふたつ建ってそうだが、どうやらメソポタミアとかは全く関係なさそうだ。

上がれるところには上がっておく主義だ。


ご参考:條ウル神古墳 | 奈良県歴史文化資源データベース | 奈良県歴史文化資源データベース「いかす・なら」
このあたりの円墳、意外に保存状態がいいのは、古代ににぎわった後は、田舎過ぎて開発されず農地であり続けたからなのかもしれない。



そうこうしているうちに、唐突にもシレッとビッグネームが出現。え。

日本武尊琴弾原白鳥陵(-ことひきのはら-)到着。


玉砂利が敷かれている。


小山ひとつが御陵ってことになっているらしい。立ち入り禁止であり拝所があるかも不明だ。

この筆跡、見覚えあるぞ!(何をこれくしょんしているのか)

あれ、そういえば「白鳥陵」は羽曳野市にもあったではないか。どうなってんだ。

おいおい、もし「こっちがヤマトタケルの御陵」ってんなら、羽曳野*1全市民がアイデンティティ崩壊状態に陥りもう立ち上がれないだろ・・・とおもったら、

「ここ経由で、羽曳野にも白鳥で降りたって、最後そっから飛び立ったから、両方墓が存在しててもセーフ!ギリセーフ!!」との記述が。
起源だの本家だのと争わない、実に日本的でおとなな対応である。きっと、玉虫色にしておいたほうが幸せなことって多い。まあどうとでも解釈できるよね?



セーフ!
(つづく)

*1:ヤマトタケルが化けた白鳥が羽ばたいたからこそその名前を名乗ってる