駄目社員はむの日記

USO800 certified.

今日という日。

朝。

7時に目が覚める。

  • 朝から歩こうかと思った。が、しとしと雨が降っててゲンナリ。二日連続がんばることもあるまい。
  • 「最後にひとつだけお願いしてもよろしいでしょうか」のお約束な出オチ感が素晴らしい。敵と認定したら拳で語り、拳で運命を切り拓く令嬢(中の人:瀬戸麻沙美さん)、ロックで痛快。こういうの、嫌いになれない。
  • 「自民左派+公明」→「自民右派+維新」。それって、ほぼほぼ政権交代的なものでは。ここ2週間の変化すげえな。
    • 良いか悪いかは知らんけど、シンジローでは絶対こうはならなかった。多分今頃、カンペ見まくりな首相の「進次郎構文」っぷりに、相変わらず馬鹿だなーってなってるだけだった。
  • テレビチラ見。日曜朝って極端なのが多いな。作り手側は報道番組と思い違いをしている、実質私情ダダ洩れワイド番組というのが一番厄介だな、と思った。

午前中。

天気が良ければ山の辺の道でスペックアウト柿食うツアーもいいなと思っていたのだ。
今日は曇りベースでやや不安定な天気のようだった。山の辺の道はついこの前行ったばっかりだし、今年の柿はもう食べたし、まあいいや。

午後。

先週四天王寺で買ってきた電子系古文書に迷わずカッターの刃を立てる。
お外で裁断作業し、部屋の中に持ち込みスキャナに通したら、可及的速やかにゴミ袋にぶっこむ。
戦前の高周波関係の古文書、ニヨニヨしながらiPad読書できるようになった。

一例:昭和7年の電話システム本。


満州国建国と五・一五事件の年だよな。
1930年代初頭って、グラハム・ベルの発明からまだ50年ぐらいしか経っていないのかぁ。アナログで恐ろしく複雑な電話交換&海底ケーブルシステムができていた模様。

夕方。

ひと仕事終え、力尽きて寝てた。
今日考えてたToDoはほとんどこなせず、スケジュール大崩壊でした。

夜。

  • Windows10の正式サポートは終わったわけだが、そのせいかどうか、ここしばらく使ってきた投げ売りThinkPadが、突然WiFiにつながらなくなったりなどいよいよ挙動不審だ。そろそろほかして11機に環境移行せよという天啓かもしれない。
  • バンパック会期中に、記念公園には4回行きました。
  • 夜もまた雨になりました。

寝る前の読書。


安田喜憲著「森のこころと文明」(1996, NHK出版)
「環境考古学者」という素敵なポジションの先生。
ニンゲンが森を失うと文明が滅ぶ、つまり、「森の切れ目が文明の切れ目」という話。大づかみで推測が多いが、歴史を俯瞰していて面白い。*1


ヒトは中東や欧州で、先史時代から都市文明を経て、森林を再生させぬまま破壊してきてしまった。石と並ぶビルディングブロックであり、燃料や水源としても重要な森林資源を際限なく取りつくした結果、訪れる森林喪失と、社会が回らなくなり必然的に起こる文明破壊。


僕らが今南欧に行くと出会うやけに少雨な「地中海性気候」と、はげ山に照葉樹や低木がちょぼちょぼ生えるような「地中海岸の植生」。
それはヒトの営みの結果と先生は論じる。時代ごとの花粉とかを調べても、ヨーロッパは古代には森林におおわれていたのが、人間がとりつくし森林を破壊した結果中世には激減。森の喪失は気候までも変え、世界観や思想や宗教をも変容をもたらしているのだという。

僕の実感として

  • ヨーロッパの特に大陸側で森林って林程度か、あとで植林されたやけにこぎれいな森以外は、とても少ない。
  • また、古典絵画の風景画によく描かれている「林」は、不自然なほど整然と並んだ欅とかだったりする。
    • あれはそう言う技法のお約束でもなければ抽象化でもなく、実際当時整然と植林されてたから、ああ描かれているらしいのだ。
    • そして肝心の「森」はというと、伝承や宗教画と絡めて登場する。森が身近にあるライフスタイルは、中世にはファンタジーになりかけていたのかも。



どうでもいいが、ドイツ風城塞都市が舞台になりがちな、ヨーロッパ中世風なろうアニメには、たいてい魔物が出そうな「裏の森」が登場する。
そういう設定がなされる時点で、なろう小説作者のヨーロッパ観には盛大にリアリティが欠如している。森林地帯にわざわざ名前が付くぐらいに、森は少ないのである。
名もなき森が里山とセットで存在するのは、実は日本の風景だ。

*1:別地域の歴史を多少乱暴に比較・俯瞰し持論唱えるタイプの【考古学】って、イロモノ感あるのは否めないわけで、批判的な向きもあろうが、僕は嫌いじゃない。