朝。
6時半起床。
午前中。
今日はなるべく動かないつもりでいたのだが、明日からの動きに必要な文具が手元にないことに気づき、しぶしぶ外出。
しかし見つからずいったん帰路。
と言うのも、なぜかシステム手帳のリフィルが売ってない。
A5システム手帳使いにとっては、6穴リフィル在庫切れはジョークで済まない。死活問題レベルだ。
ちょっと前にそろそろ調達せねばとAmazonのページを見て、定番なリフィルが売り切れっぱなしになってるのが気になってたが、何故か在庫復活はなく、とうとう手に入らず。
ダイソー、なんで6穴バインダー売ってるのにリフィルが(売場すら)ないんだよ。
くそう妖魔ブンボーめ。
辛うじて、大天使セリアさまが光臨。
わずかな在庫を発見し全数保護。きっと心斎橋ハンズまで行けば手に入るんだろうけどね。
Let it beの歌い出しが耳奥に流れたよ。マザーメリーじゃないけどさ。
午後。
返ってきてご飯を食し、コーヒーを口に含み、横になったらそのまま5時間ダウン。
午後を棒に振った感はあるが、身体が求めていた休息だ。
夕方。
雑にしかフォローしていないけど、玉木氏がキャスティングボート状態なのがニュースとして面白い。
ご当人が自分の立ち位置をよくよく理解しているのかミモノですな。政権担当能力・経験値低いままここで野党連合の軽い神輿になったら、総理になれたとしても「そこまでの男」で終わる可能性は高い。
夜。
寝る前のどくしょ。

浜本隆志著「鍵穴から見たヨーロッパ: 個人主義を支えた技術」(1996, 中公新書)
一度読んでみたいと思ってた本。先日訪れた天牛書店に並んでたので、思わず買ってきた。
欧州で美術館に入ると、古典絵画のモチーフとして「鍵」がよく登場すると気付く。また中世からある都市を歩くと、だいたい戸は無駄にでかくて堅牢にできており、中央付近にドアノブがあり、鍵がかかっている。
そんな欧州において「鍵」がどのように発展・普及してきたか学ぶ。
この本が興味深いのは、最終章で日本の中近世と比較するくだり。
中世の庶民は、超アナログ監視社会でヨソモンの侵入を察知・排除する一方、その内部にいる人々の粗末な家にはたいした財産もなければ、施錠する戸も(必要)なかった。古典落語のお約束・江戸の貧乏長屋だって、戸をいきなりガラッと開け「ごめんよ」と大家さんが入ってくる。
外敵から身を守る安全欲求から技術がどんどん発展し、精神構造的な背景も相まって深まってきた有史以来の欧州カギ文化に対し、日本において施錠するという生活のルーチンが庶民にいきわたったのは、明治以後なのである。