駄目社員はむの日記

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秋津洲ってどんなシマ?(4)

(従前)寺町を歩く。



本願寺派園照寺。これは確かに見事な大伽藍だ。

そして寺内町エリアを越え西へ。

真正面には葛城山。だんだん風が強くなってきたので、葛城公園で一服。

1545、JR御所駅にいったんゴール。
ここまでで秋津洲の道・正規ルートは終いである。なかなか楽しめる道であった。

ここからせっかくなので、オプショナルツァー。

葛城地域で行ってみたいと思っていた神社を目指す。まあ一駅分だから大したことはあるまい。
「忍海(おしみ)」)の方向に北上。

目的地とのほぼ中間点に位置する「石光山古墳群」(せっこうざん-)に寄ってみた。


住宅地のなかにもこっと古墳が盛り上がっている。


あー廃墟的なやつか・・・


ここは公園的な雰囲気になっていたようだ。が、たぶん立ち入り禁止なのか、放棄され荒れ地と化していた。いかにも町おこしで「古墳兼市民の憩いの場」を作ってみて、人が来ず放棄されたというような奴だ。そういうの奈良県内各地にある。
Google先生はいくつか写真が上がっているので、無理やり登って写真撮ってく人もいたのかな。冒険というより暴挙のような気がしたので、入り口の前で引き返した。

悪戯なのか木を斜めに立てかけてブロックしてるようだし。

最後に、角刺神社(つぬさし-)、



今日の最終目的地。近鉄忍海駅にほど近い小さな小さなお社なのだ。
境内に入ると小さな池があり、ブヨがいっぱい飛んでて、虫よけ万全であってもあまり長時間居たくない感じだ。
角刺神社/葛城市

ここ忍海には「角刺宮」という宮があったとされる。


伝説めいていて諸説あるようだが、清寧天皇崩御後に皇位不在状態に陥り、その間、履中天皇の皇女が一瞬だけここで政をおこなっていた、らしい。

清寧天皇雄略天皇(ギリ実在してそうとか)のせがれなので、もしもリアルならば5世紀末ぐらいに在位のはず。そうすると「角刺宮」が機能してたのは500年ちょい前ぐらいだろう。
そしてこの神社は、その名残を地名とともに伝えている「忍海角刺宮伝承地」なのだ。
葛城忍海之高木角刺宮 – 國學院大學 古典文化学事業
神社に無料のパンフレットが置かれていたので、浄財をお納めし、パンフをいただいてきた。

天皇ではないけど、陵もあるらしい。

結論:秋津洲ってなんだったっけ。

今日は秋津洲の道をはじめて歩いた。しかし御所マスターへの道は遠い。

  • 秋津洲の道、メジャーな寺社は少ないが、古墳は結構墳頂まで登れたり、御陵はあったりと、古代好きにはドストレートじゃないかな。オプショナルツアーの角刺地域(こっちは葛城市)も含め、奈良ウォーク好きをいろいろ刺激する地域であったよ。
  • 今日は午後風が強まり黒い雲からぽつぽつ雨粒が落ちたけど、本降りにまではならず助かった。
  • 秋津洲の道にかぎらず御所観光協会さんが出しているウォーキングマップはいいルートえらびで、正確かつ安全。安心して歩けるうえ、要所要所に道標があり、とても歩きやすい(すばらしい)。

ご参考:御所市観光マップ | 御所市

で肝心のテーマである。

  • 秋津洲大和国の呼称でありこの近所が発祥の地の一つってのは大体あってるのだろうけど、「トンボのシマ」はそう読めるってだけで、こじつけじゃないかなぁ。*1
  • シマとは何だったのか。まあテリトリーぐらいの理解が適切なんじゃない?
    • 「アンさん、ワシらのシマにちょっかい出すとは、ええ度胸やのう(だみ声)」的な(違)人にどつかれないうちに帰ることにする。

古代ロマンあふれる魅惑のシマ、また来ようっと。

おまけ。



御所市の現マスコットは ややきもかわ路線な「ゴセンちゃん」。
一方、葛城市の「蓮花ちゃん(れんかちゃん)」はフェミの猛攻撃をギリ回避できつつ、かなり萌えな線を狙っている。モチーフは中将姫だとか?
蓮花ちゃんサイト/葛城市
プロフィール/葛城市
作画が非常に不安定だが、葛城市内を歩いてると時折視界に飛び込んでくる蓮花ちゃんの作画、時々かなりよく、好ましい。

*1:豊葦原之千秋長五百秋之水穂国という古称があるけど、ふつうに考えて秋津洲は秋ツ島(秋の=実りのシマ)だよな。当て字・読み替えが何度も起こっているとはいえ、アキツ=トンボだからトンボな!にしちゃうところに無理がある気がする。