駄目社員はむの日記

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京街道素振りウォーク (3) 大阪市内でゴール。そして高麗橋のことを考える。

謎な読みの駅名はさておき。


大阪市内に入り、京街道推しはよりアグレッシブになる。道標や目印は多く、舗道がカラーリングで明示されててルートがわかりやすい。
旭区から城東区へ。

関目高殿駅の関目には、「関目神社」がある。



恐らくこの地域の地名の由来。車道に面しており境内はややにぎやかだが、いい雰囲気している。
ご参考:関目神社

さらに野江内代駅のそばに「野江水神社」(のえすい-)


こちらも車道に面しているが少し奥まっているので静か。

小さいがうつくしい。かわゆす。
ご参考:大阪市城東区:野江水神社(のえすいじんじゃ) (…>区のプロフィール>名所・旧跡)

だいたいこんなところかな?

この近所は1500年代位までド田舎(大坂の北辺も北辺)なので、とうぜん近隣の神社の歴史は浅く、式内社はほぼない。

1540、JR京橋駅でゴール。

高麗橋まで歩きたかったが、体力温存を考えてここまでやめておくことにした。翌朝元気に起きることを考慮するのが中年ウォーカーってもんさ。

さいごに。

  • 今回まずは、名高い京街道東海道五十七次を歩きだしてみる「素振り」ミッションを概ね完遂できた。
  • 前半の枚方市枚方宿を過ぎると延々淀川河川敷ウォークで、想定以上に退屈だった。守口市以降は京街道推しがガッチリなされており、たどるのは容易だった。歩いていると突然周囲が町家建築だらけになり、江戸期位の風情に迷い込めるのは魅力かもね。
  • 京街道、京都から枚方市も歩こう。そしていずれ、天満橋高麗橋近辺のゴールまで歩き切りたいものだ。

余談。高麗橋が終点、って、そうなんすか?

実際歩いてみてもそう思うのだが、「高麗橋京街道の終点です」といわれても、現代の感覚で「あーせやろねェ」となかなかピンとはくるまい。
現代の大阪市内を歩いてる限り、車通りはかなりあっても、あの近辺が交通の要衝とは到底思えない。

そういう時は、古地図と戯れよう。

大阪の地域別|所蔵地図データベースは、時々眺めたくなる。
特にその中でも一番古い「新板大坂之圖」(1657年)は、古街道がガンガンに機能していた江戸期における、大坂の都市構造の参考になろう。*1


お時間ある方は地図の拡大画像を開き、さらに北が上になるように90度回転してみてほしい。
市立図書館の画像を落として画像ビューワで拡大するのが楽かも。

古地図と照らし合わせると、奥行き感が出てきます。

この地図でまず目立つのは、もちろん大阪城。そのすぐ上を、大川が流れている。

で、大川には左から右に「天神はし、天満はし、京はし」がかかっている。このへんは今も変わりませんね。
現代の位置関係からすると、天神橋と天満橋の中間あたりから視線を上にもっていけば、大阪天満宮だろう。するとやはり「天神」とある、広い白塗りの一角が地図中にみつかった。


こうしてランドマークをプロットしていくといると、400年前の町の構造が、にわかに近しく感じられてくる。
淀川のルートなどが少々違うってだけで、現代の大阪市内を脳内に展開しながら古地図を見られますな?

で、この「天神さん」は、「大坂の地図でいうと、けっこう北辺」にあるわけである。

なお、そこからずーっと左に視線を移していくと、町はずれで粗末そうな家と林があるあたりに、「そねさき」とある。

曽根崎といえば、1700年頃の事件を題材にしている近松門左衛門曽根崎心中。つまりは当時の町はずれが現代の「梅田」近辺であり、そこに小さく書かれた「天神」はもしかすると露天神社(つゆのてんじんしゃ)、すなわち、今や周辺ラブホ街な「お初天神」かもしれない。
一目瞭然、大阪市北区の大半は、江戸期の大坂ににあっては北辺の田舎だ。

高麗橋付近の重要性に納得感が得られてくる。

や、ラブホ街から話を戻そう。

一方、南北に流れる東横堀川に架かる橋をみていくと、一番上に「いまはし」、そして2番目に「かうらいはし」とある。前者が今橋、そして後者が件の京街道のゴール「高麗橋」だろう。
当時の大坂にあって、あちこちに向かう街道のクロスロードになっているといわれると、なるほどとなる。
江戸から京街道ルートで歩いてきた人々は、正面にそびえる大坂城を目にしながら京橋を渡り、「八百八橋だなぁ、水都ですなぁ」などと感心しながら、城下を大川に沿って道なりにあるくと、自ずとたどり着くのはこの高麗橋である。
となると、やはりこのへんは、かつての大坂の市内中心部にして交通の要衝。東海道五十七次の起終点として、とても納得感あるではないか。


難波にある古街道としては、平城京方面の「暗越奈良街道」も高麗橋スタート、さらに竹内街道へとつながる「難波大道」は今のJOBK近辺が起点。熊野行きの「熊野街道」はすぐそばの天満橋が起点・・・と、この近辺にめちゃあつまっている。
大阪メトロ天満橋駅の辺りはヒトモノが行き交う、さながら「中央駅」のような場所だったのだろう。

*1:新板大坂之圖|所蔵地図データベース、あるいは新板大坂之図 (大阪古地図集成 第2図) - 大阪市立図書館。後者は25MB近い巨大で高精細なJPEGを落とせます。オススメ。