駄目社員はむの日記

USO800 certified.

橿原市ミニツアー:畝傍山南東の準メジャー見所をめぐる。(1)

はじめに:実は今日は別のところに行く予定だった。

でも体調がイマイチすぐれず、昼までゆっくりしていた。そして夕方には友人に会う。
なので、2-3時間だけ橿原市内を歩いて遊ぶことにした。できれば、行ったことないところを絡めて。

橿原市と言えば、大和国の中心のひとつだ。

まずは、「藤原宮跡」と「大和三山」がある。

加えて大和八木駅の近所には今井町の町家の風景があって、橿原神宮前駅周辺には橿原神宮(というか神武天皇陵)やら橿考研やらもあったりするわけである。
いやもう、その辺りを徘徊するだけで、古代から近現代、1500年以上にもおよぶネタの宝庫だ。情報をしこたま押し込み、知的好奇心を渇望する歴史ヲタを食い倒れさせるほどの魅力とロマンに満ちている。僕とて、実際たびたびお世話になっている。


しかしそれ以外の定番ならざる、言わば準メジャーな見所もいろいろあるのが橿原市だ。
限られた時間だが、そういうところをめぐってみることにした。

畝傍の御陵を背に、古墳群へ。


今日は古墳群な気分だ(謎

高取川を渡る。



以前も行ったことはあるけど、ここは外せまい。

宣化天皇陵。


第28代宣化天皇のみささぎだ。遠景からして、ずももっ!と周囲から盛り上がっている。「鳥屋ミサンザイ古墳」である。
古墳に付けられたミサンザイやニサンザイといった名称は、ミササギ(御陵)が訛った、が定説らしい。訛りすぎじゃない?

天皇の在位としてはやたら短命ではある。
伝説上は、ずいぶん年取ってから仕方なしにリリーフが回ってきたようなことになっている。結局弟・欽明天皇の皇統が残っている。
史実と微妙に絡んでいるのだろうか、やけに短い在位期間には、記されざるウラがあるのかも知れない。
ちなみに在位の頃に仏教伝来とかなんとか。



拝所の真正面はいまいちな見た目だけど、結構なお壕。そして振り返ると畝傍山。周囲はよく整備されており、藤の花が所々に咲き誇っているのがすてき。

更にそのわき道を行く。


謎のため池に遭遇。これは明らかに陵墓のお濠。





・・・ああやっぱり。
あとで調べてみたら、「桝山古墳」だった。崇神天皇皇子倭彦命身狹桃花鳥坂墓、だそうだ。
ご参考:桝山古墳 - Wikipedia
日本最大の方墳だったのかー。

どうでもいいが、崇神天皇のせがれまで、よくもまあ物語を作ったものだ。

  • 古事記やら日本書紀やらファンタジー創作し、その帳尻を合わせるために、膨大な陵墓を(おそらくはすでにあった墓的なモノを都合よく解釈し、魔改造して)25代分ほど先祖のものってことにした訳である。自分らが皇位の正統性と神格化のためにアートに費やしたエネルギーたるや、グレイトを通り越して病的なレベルである。
  • そういえば先日平城宮跡の遺構展示館で、はぎ取り標本とともに紹介されているのを見た。平城宮一帯は、「さらにその前の時代に存在した何らかの陵墓」をぶっ壊して、その上に建てられたという。祖先を盛大なファンタジーで描いて賛美している割に、8世紀には既にその遺産を都合よく解釈してやりたい放題してたのである。
  • 後代の権力者のエゴが、歴史を破壊し、創造するのだ。

もう後半。日が長くなったとはいえ、夕暮れも迫る。

新沢千塚古墳群へむかうことにする。

へたな古道歩きよりもよっぽど古道の風情がある、妙に魅力的な裏山ハイキングコースだ。

いよいよモッコモコな風景が近づいてきた。


半分宅地に沈んでいるとはいえ、「千塚」は伊達じゃない。現存しているものでも600基以上はあるという。



なんの因果か、今でも墓だらけなんだぜ・・・tomb on tombだ。

(つづく)