駄目社員はむの日記

USO800 certified.

団塊世代の死のピークまで20年余り。

団塊世代が死にゆくガウス関数のごときピークは、現在の平均余命からして二十年から二十五年後に一気に訪れる。そのタイミングで日本は著しい人口減少を迎えることにもなるだろう。*1
まあサヨナラバイバイをどうするか、という話だ。

僕の知り合いは最近、親の葬式を、所謂「直葬」でサラッと済ませたらしい。

懐具合が悪かったわけでなく「大仰にする必要がないから、簡素でいいと思った」とは、氏の弁である。10万とか、それぐらいで済むものらしい。


個人の葬儀が、一族郎党・会社やら知り合いやら何やらアホみたく人を呼び、数百万もかけて行われるようになってしまったのは、日本人特有の宗教的な生真面目さや見栄、家族の絆がおかしな方向へと膨張した結果、「冠婚葬祭はカネで解決することが素晴らしい(大きいことはいいことだ)」になってしまったのもあるだろう。
しかし、上の世代がそれを行える程度にはバブっていたのもそっちへ向かわせた原因かと思う。いくらなんでも盛大な借金をして親をおくるひとは、そうはいないだろうから。

さて、バブル世代は、そして我らがロスジェネは

たとえ親をリスペクトしたとしても、大時代的な「業者お手盛り葬式」を盛大に開催し、坊さんに拝んでもらい戒名を買って、納骨スペースを確保することに大いに価値を見出すだろうか?その後何回忌だから集まりましょ、とアナウンスされたら、親戚一同は集まるだろうか?


企業などからしても、「従業員の父親が死んだ」のは「お悔やみ」であり休暇を許す程度の温情はあってしかるべきだろうけれど、『上司や同僚が数万を携えて、知らんオッサンの葬式に押しかけ焼香までしてやる』道理は、最早ないのではないだろうか。更には、企業がグローバル化すればするほどヘンなコストは切られ、複数国間で宗教上のバランスがとれないイベントは割愛されていくだろう。
それに、信心深いどころか、ちゃんと親世代までの宗教を背負っている人が少なくなり続けているのが現実である。*2宗教がリスペクトされなければ、ゼニも回らなくなるだろう。小難しく宗派を細分化して作法が全部違っていても、それぞれが食ってこれた従来の様には行くまい。
若者世代の貯蓄額が低い云々は当然で、徐々には増えて行くだろうから、そんな葬式を催せるぐらいの懐具合にはそのうちなれるのかもしれないけれど。

20年後、どんな葬式がスタンダードになっているか、少々楽しみではある。

団塊世代は親をそのように送ってきただろうし、団塊世代が健在で葬式にカネを気前よく出してくれてる間は、葬儀屋ビジネスは安泰だろう。本人らも同様に送られたいと望むかもしれない。
しかし、それなりの覚悟は必要かもしれないですよ。

*1:僕は人口が減って国力が小さくなることが全然悪いことではないと思っているが、個人資産が適度にある年寄りには、ある程度自力で生活を支えてもらわねばとは思う。おっとその話じゃなかった(汗

*2:日本に限ったことではないが。こちらでも毎週末ちゃんと教会に行く若者なんて相当少ない。