大和郡山市に入った。
これまでただただよくわからない道を歩き続けてきたが、大和郡山市にはいったとたん、急に標識などが増え始める。
おお!!下ツ道がこの町ではだいぶ推されている。
下ツ道は、本当にあったんだ!(パズー的歓喜)
高瀬川を渡って少し歩くと、稗田の環濠集落。
環濠集落は奈良にも多数ある、農家どうしが自衛と水利のために集落の周辺にお壕を作り、独立を保った小集落のことだ。稲作と結びつけて語られる。
たいていの環濠集落は「跡をとどめる」ていどだが、ここは現代に至るもかなりの保存状態で現存するどころか、普通に人が住んでいる。これは面白い。
ご参考:環濠集落 - Wikipedia
知らなかったが、稗田の環濠集落はそれらの代表格だったのね。ベルリンの博物館島のふしぎな風景を思い出したよ。
下ツ道、消失。・・・え?
少し歩くと、下ツ道は消えた。羅城門から先、現代には道が存在しない。
位置的には明らかにここに朱雀大路を南に延ばした道がなければ・・・というところにないのだ。
ここまでか?
正午過ぎ、郡山城着。
城内を歩く。わが居城より充実しておるな
ぽかぽか陽気の下、ひとはまばら。
でも定番の「天守台展望台」にだけは、ワラワラ人が沸いていた。HAHAHA、高いところがすき、というやつだネ?
城内のキャプションを読む。
筒井順慶、そして柳沢吉保の息子・柳沢吉里ですか。まるで日本史と地理が脳内で結びついていないことを痛感。そして自分が著しく城跡と中世〜近代史に興味ないことも。
ちょうど梅祭り?中でしたよ。
やまと郡山城ホールというイベントホール
にある観光案内コーナーで、下ツ道大フィーチャーのウォーキングマップを頂戴した(感謝)。
#これを先にもらってから、歩きだすべきだったよ・・・
やはり、下ツ道は途切れていた。なる。
上等、ならばそのまま北上だ!
(つづく)