駄目社員はむの日記

USO800 certified.

下ツ道はどれくらい現存しているかウォーク、プラス(2)

大和郡山市に入った。



これまでただただよくわからない道を歩き続けてきたが、大和郡山市にはいったとたん、急に標識などが増え始める。


おお!!下ツ道がこの町ではだいぶ推されている。
下ツ道は、本当にあったんだ!(パズー的歓喜)

高瀬川を渡って少し歩くと、稗田の環濠集落。




環濠集落は奈良にも多数ある、農家どうしが自衛と水利のために集落の周辺にお壕を作り、独立を保った小集落のことだ。稲作と結びつけて語られる。



たいていの環濠集落は「跡をとどめる」ていどだが、ここは現代に至るもかなりの保存状態で現存するどころか、普通に人が住んでいる。これは面白い。
ご参考:環濠集落 - Wikipedia
知らなかったが、稗田の環濠集落はそれらの代表格だったのね。ベルリンの博物館島のふしぎな風景を思い出したよ。

下ツ道、消失。・・・え?

少し歩くと、下ツ道は消えた。羅城門から先、現代には道が存在しない。
位置的には明らかにここに朱雀大路を南に延ばした道がなければ・・・というところにないのだ。
ここまでか?

オプショナルツアー(1):大和郡山に来たのだから、郡山城



気持ちを切り替えて、せっかくなので郡山城に行ってみる。JR郡山駅をまたいで、城下町を越え、城の周囲の道を反時計回りに登っていく。

正午過ぎ、郡山城着。




城内を歩く。わが居城より充実しておるな


ぽかぽか陽気の下、ひとはまばら。

でも定番の「天守台展望台」にだけは、ワラワラ人が沸いていた。HAHAHA、高いところがすき、というやつだネ?

城内のキャプションを読む。

筒井順慶、そして柳沢吉保の息子・柳沢吉里ですか。まるで日本史と地理が脳内で結びついていないことを痛感。そして自分が著しく城跡と中世〜近代史に興味ないことも。

ちょうど梅祭り?中でしたよ。

やまと郡山城ホールというイベントホール


にある観光案内コーナーで、下ツ道大フィーチャーのウォーキングマップを頂戴した(感謝)。
#これを先にもらってから、歩きだすべきだったよ・・・

やはり、下ツ道は途切れていた。なる。



上等、ならばそのまま北上だ!
(つづく)