北国脇往還(らしき道)をゆく
(承前) 雨森芳洲氏がいったい何を成した何者なのか、結局よくわからないまま現地を後にする。きっと当時なりの国際感覚基準では偉人なのだと思う。
高時川を、雨之森橋で渡る。多分これもアメノモリ氏をフィーチャーした名前なのだろう。水量が多くワイルドな川だった。濁流が流れる。
このところ、豪雨でも降ってたのかな?
でもまあ、僕が平野部の出身だからかどうか、水に恵まれた内陸地域は好きだ。高時川の川べりの農道なのにやけにこぎれいで直線的な道を歩く。
いよいよ小谷城宙域だ。
美濃山神社に参拝し、小谷城跡へ。
北国脇往還がらみの道標もこの辺には増えてきた。うれしい。
小谷城戦国歴史博物館へ。
公営なのか私設なのかはっきりしない博物館だが、気楽に入って見たら正解だった。撮影禁止なので写真はないが、300円のアドミッションフィーとこぢんまりした展示室の割になかなか濃ゆい展示館だったよ。
- 長政公と、「公」をつけたいそうエラソーに呼ばれるけれど、二代前のぽっと出の家臣ふぜいが気に乗じて「お館様」になったに過ぎない。3代わずか50年で滅亡。儚いものだ。
- 信長サイド視点で長政は裏切り者となり、姉川の戦いで潰走。そして長政29歳で城を攻められ、名だたる信長の武将に袋叩きにボコられた結果、父ちゃん共々自刃している。
- ただし三人娘=浅井三姉妹(茶々・初・江)がその後の武家社会や天皇家にまでやたらめったら影響を及ぼすのは、おなじみだ。何しろ今上天皇は、江姫の血を受け継ぐのだ。
その影響たるや、たんぱ三人娘の比ではないぞ!
ご参考:小谷城戦国歴史資料館