はじめに。
「脇往還(わきおうかん)」と総称される道がある。五街道ほどではないが、主要な脇道・分岐、あるいはそれを橋渡しする街道のことらしい。
#今月頭、僕が熱中症寸前で歩いた朝鮮人街道も、脇往還の一つらしい。
そして今週末の街道歩きも、滋賀を歩くことにした。「北国脇往還 (ほっこくわきおうかん)」だ。北国街道から木之本付近で分岐し、関ヶ原で中山道に合流するらしい。
めざせ関ヶ原!(死にます)
小谷城も行ってみたいぞ。
話は飛んで申し訳ないが、信長を描いた映像作品の最高傑作といえば、まちがいなく「信長の忍び」であろう(せやろか)。
監督が巨匠・大地丙太郎となれば、もちろんバリバリの剣戟アニメ・・・ではない。
ヤングアダルトたちの四コマ的青春群像ギャグアニメだ。その中でも、浅井長政一家のキャラがめちゃくちゃ立っていて印象的だった。
浅井長政とくれば、まずは「戦国屈指の山城」小谷城。
そしてお市の方に娘の浅井三姉妹、これまた「戦国屈指の愁嘆場とアフターストーリー」として約束されたも同然の勝利だ。
北国脇往還、小谷城を通るんだよなぁ(ぼそ
まあとりあえず、行き当たりばったりで、学びながら歩いてみることにした。
ぜんぜん道標がない・・・
マイナーな街道だからだろうか、ないしは既に大半が区画をあれこれ整理しているうちに滅んだのか、商店街を抜けた瞬間に街道感がなくなり、道標も全然なくて不安になる。そして以降、ハッキリしない道を、自信ないままにくねくね進むことになるのである。
あった!(安堵)
芳洲先生?
旧高月町雨森に入ると、急に水嵩が増した水路(濁ってる)と、謎の看板。芳洲先生誰。
水車が多いのは雰囲気がある。川でもないのに水車があるのは、年中付近の湧水量がすさまじいことを意味する。
ここ出身の雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)氏を賛美する地域だった。
うーん、ローカル偉人?日本史に疎いので分からないままだ。
きっと90年代受験戦争の生み出した歪みだ。
雨森芳洲 - Wikipedia
(続く)