朝。
5時半起床。ねむいのう。
定時30分前現場。
午前中。
ミーティングはしご。
眠いよう。
「改革」の勝敗論の話。(2)
- 「新フレームワークを立案実行し、検証作業と軌道修正を繰り返し、継続的な変革を積み重ねること」は、《彼ら》にとって勝利ではない。
- ビジネスにおける「三現主義」とはよく言ったものだ。もし何かを変えるなら、現場・現物・現実をセットで、かつ変更後もワーカブルになるようフォローしながら変えなきゃいけない。
- 近年特に、社会の行き詰まりのはけ口のようにポピュリストな政権が世界中に誕生しているが、結局は妄想だけ猛々しく、理念は見た目崇高で、貧しい人にとってやけに都合が良くて、実のところはろくな「改革」になっていない。至極当然だ。
- デマゴーグが無知蒙昧な素人の情動をもって空想的な目標だけ掲げて騒ぐと、素人にはとっても受ける。エライヒトを公開処刑して頭を下げさせると、やっかみもあって痛快に映る。まさに文化大革命の世界である。
夜。
- 21時帰宅。
- 一日中、視覚情報の洪水の中にいた。単なる視覚情報ではなく、それぞれに深淵な世界が広がっていた。吐きそうだった。
- 宇宙のステルヴィアにでてくる「DLS」だったっけ。視覚に膨大な情報をぶっこまれて酔っちゃうシーンがあったけど、あんな感じ。
短時間でわかる『正解』はヒトを賢くするか
電子工作とかやってると、ふと、わずか四半世紀前のことを思い出す。
今じゃネットの海には、自分と似たようなことをやってる人の作例がいっぱいある。
- おかげで「ああこうすればよかったのね」と短時間で『正解』にたどりついたりするけれど、つい四半世紀前は、雑誌媒体や文字情報(パソ通とか)など、ごく限られた手段でしか他人がどうやっているかわからなかった。
- いまからすりゃその頃は極端に今より情報が乏しく、僕らはたいした高さの巨人の肩の上には乗れなかった。
- 情報が乏しければ、正解をさがすために、自分で考えトライアルアンドエラーを多数回くりかえすことになる。人の手を借りられないことは、結果的にクリエイティブな部分をはぐくんでいたのかもしれない。参考書の解答例ページをちらちら見ながら問題を解いても、応用問題を解く地力にはつながっていないのと同様に。