以前は、安くて良いものを作って海外持ってきたら、訳も分からず売れちゃってた。
- 安価でgood enoughな製品が売れる市場で、地元企業よりずっと高い完成度で安いものを売って成功できてた。あるいは面白いものが無い市場に、日本発の新エンタテインメントを持ちこんだら売れた。ブランド力もついた。
- これはたしかに成功体験だ。しかしこれらは、日本企業が提供していたものが、海外市場で無意識のうちに差別化できてたにすぎない。そして成功は、人を勘違いや自己肯定と言う泥沼へと誘いこむ。
無意識に勝ったから、勝ち方がわからない。
そして成功者が調子こき、薀蓄を語り始めるとコケる―これは永遠の真理らしい。
- 上手くいってりゃ、自己分析も甘くなる。更に悪いことには、グローバルスタンダードやらマネジメント手法やらを暗誦してかっこつける奴らが企業内に溢れちまった。戦略やマーケティングの勝利だと思い込む。単純作業をアウトソーシングしてコスト減らす俺カコイイ!とか思い出す。
- 日本メーカーの2000年以降のグローバリゼーションとは、ワールドワイドに製品を売る為に、”グローバルスタンダードとか言う横並びでジェネラルなもの”に自分(あるいは自社の商品)をあわせこんで行くことだと勘違いしていた。
- あと、日本メーカーにとって2000年代前半最大の不幸は、”中国と言う大消費地が、なぜだかバンバン買ってくれる”状況が訪れてしまったことだ。期せずして再び体験した”理由なき勝利”は、商品開発をする奴らの目を曇らせる。ハンパに儲かってると欠点が見えにくくなり、楽観主義が罷り通る。売れてる状況をキープしたくて事勿れ主義にすら陥り、自己変革なんて口先だけになる。
- そのせいか、嬉しさを顧客に提供するための差別化を唱える人は、相対的に少なくなっていたかもしれない。別にプロダクトアウトでも、多少とんがっててもいいのに。
- ”Good enoughなプロダクトが売れる市場”で勝てるのはブランド力じゃなくて、「安くてそこそこのものを素早く出せる企業」か、「コモディティとは距離を置いて、いいものを出せる企業」だ。横並びで普通のものを普通に出したら、完成度の高低とは無関係に前者に組み込まれ、安いメーカーに持ってかれて終わる。
さて我々は、この焼け野が原を見て何を考えるべきか。